父の死

父は最後の数年を沖縄本島の特養で過ごしました。

 

30年前、父が危篤状態で病院に入ったとの連絡を受け、羽田より沖縄本島に飛びました。

 

病院に着くと、父は人工呼吸器を付け、意識はありませんでした。声をかけても反応なし。心臓は動いていましたが、肺のレントゲン写真は真っ白、そして、結局、そのまま、意識は戻らず。

 

数日後、待機していたホテルに病院より連絡があり、心臓が止まりそうだから来てください、とのこと。着いて心電図を見ると、殆ど、反応なしでした。

医者は私を見て、今から蘇生を始めますと言い、人工呼吸器を外し、電気ショックを父に加えました。

 

バチン!!!という、すざましい音とともに父の上半身が起き上がります。

心電図は多少動き、また、フラットになります。

私はびっくりして、3回目で、「もう止めてください」と言いました。

医者は、心電図を見、父の目の瞳孔が開いていることを確認して、ご臨終です、と言いました。

 

その後、遺体を葬儀社に運び、2・3日後に荼毘に付し、遺骨を持ち帰りました。

 

***** 今日の定例 *****

 

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