「たけしの死ぬための生き方」

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北野武氏の著書で、嵐山光三郎氏の「死ぬための教養」に推薦があります。

 

以下に、著者が死への準備について言っていることをピックアップ、要約します。

 

「・・・死ぬってことは人間みんなの目的であるっていうか、終着点であることには間違いない。

・・・死はすべての終わり。それに対して何で準備してなきゃいけないのか。

・・・準備してる奴としない奴と、死ぬことは結果的には同じだけれども、そのショックというのは半端じゃないんだよ。死を考える、死ぬための心の準備をするというのは、生きているということに対する反対の意義なんだけども、異常に重いテーマなんだ。

・・・人生って、生まれながらにして死ぬ時のその対応の仕方をいかにして模索していくかが人生のような気がする。息抜きに色んなことをしているだけであって、基本ラインは死ぬことに向かって、一直線に突っ走ってて、それに人間はどう対応するんだろうかってだけのような気がする。

・・・末期ガンを宣告されたガン患者が、風に揺れる一本の雑草を見て感動する、という話があるけれど、人は生まれながらの死刑囚なんだから、誰もが、そういう目を持てる筈なんだよね。そんな気持ちになって晩年を送れる人が、“人生の達人”なんだろうか。・・・」

 

著者は、死を眼前にした時のショックは半端ではないと言っています。「ショック」というのが面白いですね。

私にとっては、俺は死ぬぞ、死ぬぞ、あー、どうしよう、どうしよう、というパニック状態でした。

同じことですね。その時にどう考えて対応するか、どう自分を納得させてパニックにならずに死ねるか。その時が来るまで、如何に「風に揺れる一本の雑草を見て感動する」ような生き方が出来るかですね。

 

一つの考え方は、生命体の使命は子孫を残すことだ、俺は、子供を作った、残した、だから、俺は大したことはやれなかったけれども、使命を果たした、だから、安心・納得して、静かに往生しろ。

 

じゃー、子供のいない、作らなかった私は、どうするの?

私は、人類という種に対して、こんな貢献をした、後世に残る本、音楽、美術を残した、それが、俺の子供だ。

 

じゃー、大したことは何もできなかった私はどうするの???ですね。

避けられないことは避けられない、自分は死刑囚だ、覚悟しろ。

養老 孟司氏とかは、覚悟を持て、と言っていますね。

 

じゃー、どうやったら持てるの?

この本の著者は、死ぬときの対応を模索していくのが人生だ、と言っていますね。

然り、しかり!!!

 

***** 今日の定例 *****

 

今週、JT ALPHA は、double issueの後で、休刊です。

 

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